急行能登
詳細は
上野発の夜行列車を御覧下さい。
3605列車上野21時49分→富山05時50分
下りの急行能登は普通車の指定席は連結されていませんでした。このため、盆時期とあって発車3〜4時間前に上の駅で並ぶj事にしました。
40年後の2022年ですと新幹線かがやき号で2時間程度で待ち時間を含め半日近くをかけることを考えると隔世の感があります。
北陸本線224列車
富山06時06分→米原12時52分(乗車は敦賀11時22分)
北陸本線は大半が交流電化されており、客車列車が多数運行されていました。
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北陸本線224列車 富山駅にて |
北陸本線224列車 富山駅にて |
●224列車の牽引機はEF70の3号機でした。ライトはシールドビーム2灯に改造され、いわゆるブタ鼻となっていました。
客車は郵便車と荷物車が1両ずつと旅客車6両でした。旅客車は米原客貨車区の所属で全て35系青塗りでした。
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急行立山5号 富山駅にて |
特急日本海4号 富山駅にて |
●立山5号は大阪23時20分→糸魚川07時08分の夜行急行で、富山には05時50分着。富山からは快速列車になり、多客時には富山地鉄立山行を併結しています。
●日本海4号は青森19時23分→大阪10時46分の寝台特急で、富山には06時01分着です。
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富山駅発車 |
キ174 高岡駅にて |
●06時06分富山駅を出発します。この当時の富山駅は地上で、荷物運搬用のテルハが目立っています。
●高岡には06時28分着で、氷見線ホームの片隅には除雪用のキ100がいました。
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荷物4047列車 高岡駅にて |
特急ひだ2号 福岡駅にて |
●高岡駅で遅れてやってきた荷物4047列車が来ました。牽引機はEF70 43号機でライトは2灯になっています。北陸本線では常に新潟側のパンタグラフを上げていました。
●06時42分発の福岡駅で高山本線の特急ひだ2号が突然来ました。とっさに撮影したもので変なアングルになってしまっています。
●この当時は特急ひだ号は4往復しかなく下り最終と上り始発が金沢に乗り入れて便宜を図っていました。
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急行能登 金沢運転所にて |
七尾線122列車引き上げ 金沢駅にて |
●07時19分発の東金沢駅発車直後に、上野から富山まで乗車した急行能登の編成が金沢運転所に戻ってきていました。この辺りの路線配置は新幹線開業の影響で大幅に変更されています。
●07時23分に金沢駅4番線に到着。隣の5番線から07時05分に到着した七尾線122列車が金沢運転所に引き上げていきました。
●七尾線は通勤輸送用で朝に上り2往復、夕方に下り2往復の客車列車が存在していました。1977年に50系が真っ先に投入された一つで、地方線区の近代化に一役を買っていました。
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急行ゆのくに 金沢駅にて |
金沢駅を出発 |
●3番線には遅れている急行ゆのくに、がいました。本来なら224列車が8分前の07時15分に出ているはずですが、運良く撮れました。
●一部の列車に遅れが生じているものの224列車は07時40分に金沢を出発します。貨物列車の牽引機はEF70 41号機でした。
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特急しらさぎ2号 加賀笠間駅にて |
加賀笠間駅に停車中の224列車 |
●加賀笠間駅でしばしの小休止、その間に、しらさぎ2号が駆け抜けてゆきます。当時の加賀笠間駅の東側は田園風景でした。現在はここに新幹線の高架橋が並んでいます。
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加賀笠間で来た下り列車 |
加賀笠間で来た下り列車 |
●ダイヤ乱れの影響で突然下り客車列車が来ました。時刻表を見ると直江津行の243列車か金沢行の1221列車のどちらかでしょう。
●10両編成中半分の5両が10系客車で、茶色のオハ35やスハ40も含まれているのが分かります。
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変な止まり方の牛ノ谷駅 |
福井駅に留置中のオハ35他 |
●福井県に入ってすぐの牛ノ谷駅では荷物扱いの関係か、はみ出して止まっていました。
●福井駅には09時42分に到着。駅の北側に客車が留置されており、茶色のオハ35や10系客車が留置されていました。
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オハフ33 2434 福井駅にて |
オハ35 2348 福井駅にて |
●224列車の客車は米原客貨車区の担当で緩急車が戦後製の切妻、中間車が戦前製の丸屋根と分かれていました。
●米原客貨車区の客車も内装はニス塗りでも青塗装になっていました。客車の検査は名古屋工場で行われており、デッキステップと渡り板を白に塗るのが特徴でした。
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特急雷鳥3号 福井駅にて |
特急雷鳥6号 福井駅にて |
●雷鳥3号の最後部はボンネット車でした。雷鳥6号は向日町運転所の583系で4往復あり、同所583系唯一の食堂車営業列車でした。
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特急加越4号 福井駅にて |
京福電鉄 |
●加越号は北陸筋でただ一つの食堂車不連結特急でした。
●福井駅には永平寺や三国港に向かう京福電鉄(現えちぜん鉄道)も入ってきます。昇圧前で南海や阪神のお古が走っていました。
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福井駅を出発 |
福井鉄道20形 武生新駅にて |
●10時08分福井駅を出発します。30分弱で武生へ。武生駅の手前に、ほぼ並行している福井鉄道の武生新(現越前武生)駅があり、古い電車が止められていました。
●この電車は1930年製の日本車輌製の自社発注車で、上田交通(現上田電鉄)5250形と同時期の車輛です。
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DD16 35 武生駅にて |
今庄を出た辺り |
●武生駅構内にはDD16 35がいました。入れ替え作業をしていたのでしょうか。
●今庄を出たあたりのカーブで編成を撮影。
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急行くずりゅう3号 |
北陸トンネルに入る |
●北陸トンネルに入る前に、くずりゅう3号とすれ違いました。北陸本線の電車急行はヘッドマークが付いているのが嬉しいところです。
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北陸トンネルを出る |
特急しらさぎ4号 敦賀駅にて |
●当時日本第3位の長さを誇っていた(現在でも在来線日本一)北陸トンネルは14キロ弱あります。所要時間は約10分でした。
●トンネル敦賀方には、撮影10年程前に起きた北陸トンネル列車火災事故の慰霊碑が建てられています。
●敦賀には11時22分到着。ここで小浜線の936列車に乗り継ぐために下車です。すぐに、しらさぎ4号が追いついてきました。
小浜線936列車
敦賀11時56分→福知山15時20分(乗車は綾部14時56分)
若狭湾沿いを走る小浜線にも客車列車が運転されていました。
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936列車 敦賀駅にて |
若狭富士(青葉山) |
●北陸本線224列車から30分程度の接続で936列車に乗り継ぎます。北陸本線と違い、全部茶色の客車でした。
●途中、若狭富士と呼ばれる青葉山が見えます。この駅は若狭高浜駅でしょうか。現在小浜線は電化されています。
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オハフ33 2189 東舞鶴駅にて |
山陰本線836列車 綾部駅にて |
●東舞鶴には13時52分着14時07分発。乗車した客車はオハフ33 2189で敦賀客貨車区の所属でした。
●綾部到着は14時56分で、山陰本線836列車は15時08分発と接続が良いです。
山陰本線836列車
福知山14時38分→京都17時50分(乗車は綾部15時08分)
山陰本線は客車天国で、数多くの客車列車が運転されています。
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ナハフ10 26 綾部駅にて |
オハ35 2863 和知駅にて |
●編成後ろ側にはナハフ10が連結されていました。これに乗ろうかと思いましたが、状態が悪いのか窓が開かなかったり床が汚れていたりして断念しました。
●結局乗ったのはオハ35 2863でした。屋根構造が戦時中に造られたロクサン形電車によく似た雨樋が省略された、車体に覆いかぶさるような構造になっています。
●青塗りの車体にニス塗りの車内の客車は関東圏や名古屋圏に見られていましたが、山陰には珍しいです。この客車は、元々尾久にいました。
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保津峡を走る |
保津峡駅吊橋 |
●この当時の山陰本線は桂川沿いに線路が敷かれていました。後の複線電化の際に
新しい線路を造り、古い線はトロッコ列車が走る路線に変わりました。
●保津峡駅の周辺は何もありません。地図を見ると北の方に集落がいくつかあり、この住民の便宜のためかと思われます。
京都に着いてから、観光もせずに国電で大阪に移動しました。
福知山線745列車
大阪21時45分→福知山00時33分
大阪から山陰に抜ける福知山線も客車天国で、数多くの客車列車が運転されています。
最終列車である745列車に乗車しました。福知山線の客車列車の一部は大阪局宮原客車区の客車が使われていました。
宮原客車区は東海道・山陽・北陸筋の優等列車を担当しており、普通列車用の客車も東の尾久区のように整備された43系が使われていました。