山陰本線827列車
山陰本線827列車は京都22時04分→出雲市09時48分の普通列車です。寝台車が1両連結されており、寝台券を発行するために「山陰」という列車名が与えられています。
00時37分着の福知山(発車は00時56分)にて、大阪からの745列車と接続していました。この列車で02時18分着の豊岡駅で下車、待合室でしばし過ごして05時04分発の831列車に乗り継ぎました。
お盆休み中で、列車は満員。乗車時間1時間20分をデッキで過ごしました。
山陰本線831列車
山陰本線831列車は豊岡04時58分→門司22時55分の普通列車です。走行距離535,2kmと東寺日本位の長距離を走る鈍行列車です。
この列車で終点の門司に着くと、長崎行の1421列車(これにも寝台車が連結されており「ながさき」と名乗っていた) に接続していました。
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山陰海岸 |
倉吉線混423列車 倉吉駅にて |
●豊岡発車から05時59分発の餘部駅まで何とか起きていました。05時11分発の城崎駅を出ると列車は海岸沿いを進んでいきます。
●餘部鉄橋を渡るのを見届けて爆睡してしまいました。気がついたら倉吉駅近くでした。
●倉吉到着は08時43分で9分の停車、1番線に倉吉線混423列車が停まっていました。ワムーオハフ33ーオハニ36の3両編成でした。
●後ろのオハニ36 26は近代化改装され、車体も青塗りでした。
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大山 |
特急やくも1号 米子駅 |
●10時07分発の大山口駅付近で大山が見えます。
●米子駅には10時30分到着で22分停車します。この間に特急やくも1号が抜いていきます。乗車1ヶ月半前に、当時最新鋭の381系になったばかりでした。
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スユニ50 2039増結 米子駅にて |
宍道湖 |
●米子駅に停車中にマニ50とオハフ33の間にスユニ50が増結されます。松江を出てしばらくは宍道湖の脇を走ります。
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DD51 49 出雲市駅にて |
オハネフ12 45 出雲市駅にて |
●出雲市到着は12時42分で22分停車します。ここでは先頭にマニ36が増結されます。
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オハ46 600 出雲市駅にて |
オハフ33 425 出雲市駅にて |
●出雲市駅の脇には出雲市客貨車区があります。オハネフ12は夜行山陰号用です。
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特急まつかぜ4号 大田市駅にて |
オハフ33 477 江津駅にて |
●大田市到着は13時53分で12分停車します。ここで、上り特急まつかぜ4号と交換します。まつかぜ号の1往復は、大阪と博多を山陰本線経由で結ぶロングラン特急で食堂車も連結されていました。
●江津到着は15時08分到着で15分停車です。ずっと乗ってきたオハフ33 477を撮影、ここでは鳥取行の おき4号と東京行の出雲4号と交換します。
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831列車後部 都野津駅にて |
831列車前部 都野津駅にて |
●江津駅の次の都野津駅では、まつかぜ1号に抜かれるために止まります。831列車の編成は先頭のオハフ33 477のみ茶塗り車内ニス塗りで、後は青塗り近代化改装済みでした。
●豊岡発車時点では旅客車は9両、荷物車は1両でしたが、鳥取で2両、米子で2両切り離し、逆に荷物車は米子と出雲市で1両ずつ増結されて荷物車の割合が多くなっていました。
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DD51 1106 浜田駅にて |
●16時20分到着の浜田駅で831列車を降ります。ここから特急おき5号に乗り小郡を目指します。
特急おき5号
出雲市15時15分→小郡19時11分(乗車は浜田16時48分から) おき号は小郡(現新山口)と山陰地方を結ぶ特急です。
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小郡駅に到着した特急おき5号 |
寝台特急あさかぜ52号
博多17時14分→東京10時09分(乗車は小郡19時47分→名古屋05時07分)
名古屋から中央西線の始発電車に乗るために東京行のブルートレインに乗車しました。
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荷物39列車 EF58 36 名古屋駅にて |
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雨の降る早朝の名古屋駅に降り立つと荷物列車が止まっていました。牽引機は米原機関区のEF58 36でした。
中央西線723M
名古屋06時02分→中津川07時37分
名古屋から帰るときに客車列車が走る中央西線か旧型国電が走る飯田線のどちらにしようか迷いましたが、飯田線の接続が悪く中央西線の客車列車にしました。
中央西線825列車
中津川07時40分→松本11時16分
中央西線に1往復だけ残されていた客車列車は、荷物列車に併結される形で走っていました(時刻表では荷物5041列車として別掲)。荷物車5両に対して客車は3両しか繋がっていませんでした。
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木曽福島駅発車 |
松本到着 |
●木曽福島は09時02分到着、09時13分発車です。
●のんびり走って松本には11時16分到着。電車列車より1時間も余分にかかっています。
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特急しなの5号 松本駅にて |
特急あずさ3号 松本駅にて |
●特急しなの号は名古屋と長野を結ぶ特急列車で、振り子式381系が初めて使われた特急列車です。
●特急あずさ号は新宿と松本を結ぶ特急です。あずさ3号は新宿8時ちょうど発で歌にもなった列車です。(後のダイヤ改正で下り列車は奇数となりました)
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誰もいない車内 |
ここで2825列車に変わります |
●825列車の松本到着は11時16分で、ここで1時間23分の大休止。ここから篠ノ井線2825列車と変わります。
●今では信じられませんが、ホームを自転車で移動する職員が写っています。
篠ノ井線2825列車
松本12時39分→長野15時05分(乗車は14時45分着の篠ノ井駅まで)
下り列車は松本での停車時間が長いため列車番号を変更します。この列車ものんびりで電車列車で1時間半のところ2時間半程度かけています。
長野県境に近い岐阜県中津川から県都長野まで、途中の大休止を挟み7時間以上かけて走破する・・・ 長野県の広さを実感できる列車でもありました。
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松本駅発車 |
左下のリヤカーのアップ |
●12時39分松本駅を出発します。8月16日、盆休み最終日のUターンラッシュ真っ最中で、ホームに多数の列車待ちの人がいました。
●左下のリヤカーの部分を拡大してみました。菓子や飲料をホームのキオスクに届けるのでしょうか。ロッテカプッツェル、つぶオレンジの文字が見えます。
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複線を進む |
旧潮沢信号所 |
●松本を出て明科までの2区間は複線になっています。
●この当時、明科から西条駅間は第一〜第三白坂トンネルのルートは完成しておらず(完成は1988年09月)現国道403号沿いの単線のルートでした。
●途中に潮沢(うしおざわ)信号所があり、姉妹列車の836列車と交換します。編成の記録をしていたため写真は未撮影でした。
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単線を進む |
旧羽尾信号所 |
●左の写真は坂北駅の手前、道の駅さかきた、がある付近で撮影したものと思われます。
●羽尾信号場は冠着トンネルを抜けた後にあった信号所です。(2009年03月廃止)
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新宿行434M 姨捨駅にて |
一旦引き上げて |
●姨捨駅で新宿行434Mと交換しました。姨捨駅は現在でも山岳スイッチバック駅として有名です。
●新宿から長野を結ぶ普通列車は昼行2往復、夜行1往復設定されていました。この電車は長野を13時30分に発ち、新宿には21時30分に到着するダイヤです。
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本線へ |
姨捨駅付近からの善光寺平 |
●姨捨駅を出発すると徐々に高度を下げていきます。途中で善光寺平が見渡せる場所があり、ここは日本三大車窓の一つです。(他は旧根室線狩勝峠・肥薩線矢岳越え)
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桑ノ原信号場 |
●しなの10号と交換のため
桑ノ原信号所に停車します。現在は、この背景に高速道路が出来てしまいました。
●篠ノ井には14時45分着。約30分の待ち合わせで信越本線の326列車に接続します。
信越本線326列車
長野15時04分→高崎18時30分(乗車は15時17分発の篠ノ井駅から)
信越本線を丸1日かけて全線走破する客車列車の一部です。旅客輸送以外に郵便・荷物輸送も重要な使命です。
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上田交通クハ261 |
小諸到着 |
●上田には15時50分に到着、停車時間は4分です。発車時に別所温泉に行く上田交通の電車、朝夕の増結用のクハ261がいました。
●小諸には16時30分に到着し、19分停車します。この間に後続の1344Mに追いつかれてしまっています。
●碓氷峠を越える信越本線の列車には重量制限があります。このため車重が1ランク下のオハフ45が多く使われていました。この時の最後尾はオハフ45 2205でした。
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小海線248D |
軽井沢高原を走る |
●326列車の小諸発車は16時49分で、その2分前に小海線野辺山行248Dが発車します。この頃の小海線には準急用だったキハ55が見られていました。
●小海線は小諸を出発すると、しばらく信越本線と並行し東小諸、乙女駅に停車します、この間に2分遅れて出発した326列車が追いつきました。
●列車は軽井沢に近づくにつれ標高が上がってきます。だんだん霧が出てきました。
高崎線2326列車
高崎19時16分→上野21時55分(乗車は21時25分着の大宮駅まで)
信越本線326列車は高崎に18時30分に到着し、高崎線2326列車に変わります。この間に客車を更に増結して旅客車11両+郵便・荷物車1両ずつの堂々たる姿になります。
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2326列車 オハフ33 2246車内 |
●高崎駅で増結されたオハフ33はニス塗りでした。
●青春18きっぷが発売された最初の夏でまだ一般の人には浸透されておらず、盆休み最終日と言われる8月16日でしたが ガラガラでした。