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上野発の夜行急行列車

東北新幹線開業前には各方面に夜行列車が多数存在していました。
上越新幹線開業の1982年11月改正で変革を迎え、消えてゆく列車も多数ありました。

急行八甲田

上野〜青森(東北本線経由)。1往復(12系9両編成+荷物車1両)

1982年11月改正時:本数増減なし

八甲田61号(1981年08月上野駅にて)
●八甲田号は上野と青森を東北本線経由で結ぶ急行列車です。座席車のみの編成です。
●多客時には同名の臨時列車が運転されており、上の写真もその臨時列車です。

急行十和田

上野〜青森(常磐線経由)。3往復(20系12両編成、14系12両編成、12系10両編成+郵便車1両+荷物車1両)

1982年11月改正時:1往復に減便(存置列車は12系12両)

十和田4号 十和田4号
十和田4号(1981年08月青森駅にて) 十和田4号(1981年08月青森駅にて)
●十和田号は上野と青森を常磐線経由で結ぶ急行でした。3号と4号は20系ですが、ナロネ21を改造したナハ21座席車を連結しているため寝台列車ではありません。
十和田6号
十和田6号(1982年08月上野駅にて)
●十和田1・6号は14系座席車の季節列車でした。この他、5・2号は12系客車で郵便車(5号は新聞輸送の荷物車も)の編成です。

急行津軽

上野〜青森(奥羽本線経由)。2往復(A寝台1両+B寝台1両+12系7両+荷物車1両、A寝台1両+B寝台3両+12系7両)

1982年11月改正時:1往復に減便(1往復はあけぼの号に格上げ)、十和田号で使用されていた20系11両編成に。

津軽1号
津軽1号(1982年8月上野駅にて) 津軽4号(1982年05月上野駅にて)
●荷物車を伴っているのが1・4号です。
津軽3号

津軽3号(1981年08月上野駅にて)

津軽3号(1982年11月上野駅にて)
●津軽3・4号の上野方にも寝台車が繋がっています。双方ともオハネフ12型ですが、左のは最終増備型で妻面にリブがないのが特徴です。
津軽3号(1982年11月上野駅にて) 津軽3号(1982年11月上野駅にて)
●上の右の写真のときに繋がっていたオハネフ12 2098は製造から25年程度しか経過していないのですが、目に見えて車体の劣化が激しかったです。

急行おが3・4号

上野〜男鹿(奥羽本線経由、秋田〜男鹿間快速列車)。1往復(14系座席車10両) 季節列車

1982年11月改正時:単なる「おが」号に(編成はそのまま)

●運転期間に合わなかったのか、撮影はしていません。

急行鳥海

上野〜秋田(羽越本線経由)。1往復(A寝台1両+B寝台2両+グリーン車1両+座席車6両+荷物車3両)

1982年11月改正時:寝台特急出羽号に格上げされ廃止。

鳥海号EF58174 鳥海号スハフ42
鳥海号EF58 174(1982年07月上野駅にて) 鳥海号スハフ42(1982年07月上野駅にて)
●撮影した1982年7月は最新鋭のEF64 1000が投入開始された頃で、ゴハチ牽引も珍しものになっていました。
鳥海号スロ622026 鳥海号スハネ16 2405
鳥海号スロ62 2026(1982年11月尾久駅にて) 鳥海号スハネ16 2405(1982年11月尾久駅にて)
●1970年代後半からグリーン車の帯が省略され始めました。
●スハネ16は古い客車の台枠を再利用して造られた寝台車で冷房改造時に乗り心地向上で重いTR47に履き替えて、軽量客車とは言えない姿に変わりました。
鳥海号スハ43 2073 鳥海号オハ47 2270
鳥海号スハ43 2073(1982年11月尾久駅にて) 鳥海号オハ47 2270(1982年11月尾久駅にて)
●秋田運転区には近代化改装されていない43系客車も配置されており、茶色の客車が急行鳥海に入ることがありました。
●1982年11月7日上野着の急行鳥海に2両の茶色い客車が入っていて驚いた記憶があります。
鳥海号マニ362153 鳥海号マニ362246
鳥海号マニ36 2153(1982年11月尾久駅にて) 鳥海号マニ36 2246(1982年10月上野駅にて)
●鳥海号には新聞輸送用の荷物車が連結されていました。左は元スハ32、右は元オハ35で張り上げ屋根の変形車です。
鳥海号最後部
鳥海号最後部(1982年11月尾久駅にて)
●上野方にはスニ40とスニ41が繋がっています。この車両は上野〜新津間で連結されます。
●鳥海号も尾久客車区ではなく東大宮操車場に回送されます。

急行能登

上野〜金沢(上越線経由)。1往復(A寝台1両+B寝台5両+グリーン車1両+座席車6両+荷物車1両)

1982年11月改正時:廃止。名前のみ信越本線の急行列車に使用

能登号(1982年07月上野駅にて)
●能登号は上野と金沢を上越線経由で結ぶ急行です。客車の所属は金沢運転所でした。
●撮影した日は上の鳥海号のゴハチと同じで、こちらは最新鋭のEF64 1000でした。
能登号(1982年09月大宮駅にて) 能登号(1982年09月大宮駅にて)
● こちらは2ヶ月後に大宮駅で撮った写真です。牽引機は偶然にも1030号機でした。
●この機関車は現在でもJR東日本で見られますが、電車の回送牽引をするために双頭連結器を付けられています。

急行越前

上野〜福井(信越本線経由)。1往復(A寝台1両+B寝台2両+グリーン車1両+座席車5両+荷物車1両)

1982年11月改正時:金沢発着に短縮され、名称を「能登」に変更(14系寝台車3両+14系座席車5両+荷物車1両)

急行越前 急行越前後部
越前号(1982年07月上野駅にて) 越前号(1982年07月上野駅にて)
●越前号は上野と福井を信越本線経由で結ぶ急行です。客車の所属は福井客貨車区でした。
●直流区間の牽引機は信越線用のEF62で、上野まで牽いていました。
急行越前オロネ10 2044 急行越前オハネフ13 2606
越前号オロネ10 2044(1982年07月上野駅にて) 越前号オハネフ13 2606(1982年11月大宮駅にて)
●碓氷峠経由で客車10両編成でしたが、一通りの客車が繋がっていました。オロネ10は急行ではポピュラーな客車でした。
●オハネフ13はナハネ11(→オハネ12)の緩急車版で、当時尾久と福井のみに配置されていました。
急行越前オハ47 2235 急行越前オハフ45 2015
越前号オハ47 2235(1982年07月上野駅にて) 越前号オハフ45 2015(1982年07月上野駅にて)
●碓氷峠を越える関係上、出来るだけ軽い客車で構成されており、編成の端はオハフ45が連結されていました。
越前号マニ37 2150
越前号マニ37 2150(1982年11月大宮駅にて)
●越前の荷物車はマニ37でしたが、スハ32改造の150番台も入る時もありました。

急行妙高9・10号

上野〜直江津(信越本線経由、長野〜直江津間普通列車)。1往復(A寝台1両+B寝台2両+座席車5両+郵便車1両)

1982年11月改正時:14系寝台車3両+14系座席車5両に変更し存続

●妙高9号の上野発は23時58分、妙高10号の上野着は4時47分で撮影できませんでした。

この他の夜行列車

これまで紹介したのは客車による夜行急行列車でしたがこの他に気動車・電車による夜行列車も存在していました。
写真は撮影していませんでしたが、定期列車のみ紹介します。

列車名 運転区間 経由 車両型式 備考
いわて3・4号 上野〜盛岡 東北本線 455系電車  
あづま3・4号 上野〜仙台 東北本線 455系電車 上野〜郡山ばんだい11・12号併結、福島〜仙台普通列車
出羽 上野〜酒田 陸羽西線 58系気動車  
ざおう3号 上野→山形 奥羽本線 455系電車 季節列車、上野→郡山ばんだい9号併結
ばんだい9号 上野→会津若松 磐越西線 455系電車 季節列車、上野→郡山ざおう3号併結
ばんだい11・12号 上野→会津若松 磐越西線 455系電車 上野〜郡山あずま3・4号併結
佐渡7・8号 上野〜新潟 上越線 165系電車  
妙高7・8号 上野〜直江津 信越本線 169系電車 季節列車
信州9号 上野〜長野 信越本線 169系電車 季節列車
普通733M 上野→長岡 上越線 115系電車 荷物車連結

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