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1983年03月 鈍行列車の旅〜飯田線・紀伊半島その2

飯田線の後は米原→敦賀→京都→天王寺→新宮→亀山→名古屋と廻りました。

マニ36 2218 EF58 140
●豊橋12:21の543Mで名古屋へ。この時間の名古屋駅は荷物列車がいくつかいました。
●左のマニ36 2218は長野運転所の所属で北長野からの荷5042列車、右のEF58 140は宮原機関区の所属で鹿児島からの荷物2032列車を牽引しています。
マニ36 2232 EF58 127
マニ36 2232 EF58 127
●マニ36 2232は富山客車区の所属で珍しい青塗り。撮影場所は名古屋駅か米原駅のどちらかですが、今となっては不明です。
●EF58 127は宮原機関区の所属。東小倉からの荷物2030列車で、長駆首都圏経由で青森を目指します。
北陸本線221列車
北陸本線221列車
●先のダイヤ改正で北陸本線の客車列車は大幅に減ってしまいました。米原16時36分発の221列車まで客車列車はなくなりました。
EF81 104
DE10 551 EF81 104
●北陸本線は、当時坂田〜田村間にデッドセクションが設けられていました。このため、客車列車は米原〜田村間でDE10がショートリリーフをしていました。
●田村駅でDE10 551からEF81 104に交代。EF81 104は後にトワイライトエクスプレス牽引機関車に抜擢されます。
DE10 551が離れる オハ35 2433
●221列車の客車は米原客車区の担当で、この当時は名古屋客車区より43系客車の流入があり35系客車の数は減っていました。
EF70 5 オハユニ61 94
EF70 5 オハユニ61 94
●221列車は敦賀からEF70の牽引に変わります。敦賀駅構内には小浜線用のオハユニ61 94を発見。
マキノ駅看板 夜行鈍行山陰号
マキノ駅名標 夜行鈍行山陰号
●敦賀から湖西線経由で京都に出ました。湖西線にあるマキノ駅は、当時ニセコ駅と共にあったカタカナ駅名。
●京都で、山陰本線の夜行鈍行山陰号に乗る予定が気が変わって・・・
山陰号 はやたま号
山陰号 はやたま号
●天王寺23時ちょうど発の、はやたま号に乗りました。
●今となっては、大枚をはたいてオハネフ12の乗っておけばよかったかな・・・
新宮駅に到着 新宮駅にて
新宮駅に到着 新宮駅にて
●天王寺から乗って爆睡して(このため、ゴハチの何番が牽いていたかは不明)気がついたら新宮でした。ここで寝台車2両は切り離されます。
切り離された寝台車 新宮発車
切り離された寝台車 新宮発車
●5:50列車は新宮を発車しました。
新宮発車 329D川添
新宮発車 329D 川添駅にて
●途中の川添駅で新宮行の329Dと交換しました。国鉄時代によく見られた、ごちゃまぜ編成。先頭のキハ35で5時間は辛いです。(現在もこの区間はロングシートの苦行らしい)
DD51 622 下庄駅出発
DD51 622 下庄駅出発
●終点亀山駅の一つ手前の下庄駅にてDD51 622牽引の貨物列車と交換しました。ナンバーが朱色の九州でよく見られたタイプです。
関西本線233M オハフ33 2351
●終点亀山駅到着直前で関西本線の233Mが見えました。ジャスコのマークも懐かしいです。
●乗ってきた客車は前の改正まで直江津にいたもので夜行急行妙高や北陸本線の普通列車に使われたものです。
マニ36 2256 マニ36 2233
マニ36 2256 マニ36 2233
●亀山から関西本線の236Mに乗車して名古屋へ。名古屋駅には中央西線の荷物列車がいました。
62系の残党
62系の残党
●名古屋からは東海道本線をひたすら東上しました。途中の沼津駅で身延線用だった62系の残党がいました。

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