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辰野駅での1222M〜クモニ83101 |
辰野駅での1222M〜クモハ54112 |
●新宿23:45発のアルプス13号に乗車して辰野まで来ました。
●この頃は塩嶺トンネル新線は開通しておらず、すべての列車が辰野廻り。定期夜行列車も急行2本・普通1本と充実していました。
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伊那福岡駅で交換したクハ68400 |
伊那大島駅で165系普通電車と交換 |
●伊那福岡駅で交換した223Mに合いの子流電のクモハ53007が入っていました。
●伊那大島駅では165系の普通電車と交換。2月の80系置き換えでは新鋭の119系と165系が使われていました。
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飯田駅にいたED62 7 |
今まで乗ってきたクモハ54112 |
●辰野から2時間20分かけて飯田に到着しました。ここで14分停車します。
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半流旧国の並び |
クモハ51029 |
●並んだのがクモハ51029とクハ68042のオリジナルの51形どうしの2両で、これが増結となりました。
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クモハ51029 |
クモハ54106 |
●増結後、時間があったので反対側のホームに行って撮影しました。
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クハユニ56011 |
クモニ13025 |
●飯田発車直前に来た237Mは2両でした。温田駅で交換した245Mには荷物電車が2両連結されていました。
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大嵐駅に到着 |
ED62 17牽引貨物列車と交換 |
●トンネルに挟まれた大嵐駅で貨物列車と交換します。この辺りは通票閉塞になっていました。
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クモハ54110 |
クハ47069 |
●佐久間駅で625Mと交換します。
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中部天竜駅構内にいた80系 |
119系電車 |
●中部天竜構内には2月で引退した80系電車(写真はクハ86306)が疎開留置されていました。
●昨年夏に飯田線の旧国か中央西線の旧客にどちらにするか迷った挙句、旧客にして乗れず終い。
●80系自体は東海道線横浜→熱海や山陽線広島→岩国で乗ったことあるから良しとするか・・・
●新しい119系はパンダ顔の水色の電車。国鉄末期を象徴する電車の一つです。
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豊橋到着 |
EF6113 荷物38列車 |
●辰野から200キロ弱の区間を約7時間かけて昼前に豊橋に到着、名鉄の荷物電車と並びました。
●東海道線のホームには荷物列車が停車中。関東では見られなかったEF61が牽引していました。
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スユ15 2001 |
折り返し12時35分辰野行 |
●荷物38列車の編成中程にはスユ152001が連結されていました。試作的要素がありスユ13と同じ車体です。
●再び飯田線ホームに戻ると名鉄の荷物電車は発車し、側面を撮影することが出来ました。
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クハユニ56001 |
クハ68042 |
●クハユニ56001は、クハニ67から改造された4両のうち、1936年製のためシル・ヘッダーがあります。
●クハ68042は飯田線にしては珍しい便所なしのクハです。以前はクモハ53007と一緒だったとか。
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愛知御津駅構内にいた153系 |
●当時乗り鉄だった私にとって、飯田線も一度乗ってしまえばいいかな、という感じでした。
●天候も悪かったせいか、あまり写真を撮ってないのが、今となっては悔やまれるところです。
●豊橋駅からその後すぐに、北陸線の旧客列車に乗るべく米原駅に向かっています。
●前年のダイヤ改正で、東海地区にも117系が進出して、快速用だった153系も用途廃止で疎開留置されていました。