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上野発の寝台列車

1982年11月全国ダイヤ改正により昼行列車と共に夜行列車も次々と消えていくことになりました。
ここでは、上野駅から消えていった寝台列車達を紹介します。
夜行列車は1982年6月の暫定開業時には変化はなく、同年11月改正時点で消えていきました。

寝台特急はくつる

上野〜青森(東北本線経由) 1往復(583系13両編成)

1982年11月改正時:後述の北星号を呑み込み青森延長し2往復に

はくつる
はくつる(1982年05月上野駅にて)
●はくつる号は上野と青森を結ぶ列車です。上りの上野到着は9時過ぎでした。

寝台特急北星

上野〜盛岡(東北本線経由)1往復(14系12両編成)。

1982年11月改正時:廃止(青森延長の上、はくつるに統合)

みちのく(1982年05月上野駅にて)
●盛岡止まりの寝台特急です。この時代、客車寝台の牽引機にはヘッドマークがありませんでした。

寝台特急ゆうづる

上野〜青森(常磐線経由)7往復(14系12両編成1往復、24系24型11両編成1往復、24系25型12両編成2往復、583系13両編成3往復)。

1982年11月改正時:5往復に減便(24系24型13両編成1往復、24系25型12両編成1往復、583系13両編成3往復)

ゆうづる9号(1981年05月上野駅にて)
ゆうづる回送(1982年09月大宮駅にて) ゆうづる回送(1982年09月大宮駅にて)
●ゆうづる号は上野と青森を常磐線経由で結ぶ寝台特急列車でした。14系と583系電車1往復の計2往復が季節列車でした。
●下り1・3号は青森到着が5時少し過ぎで、青函連絡船3便に接続していました。
●客車ゆうづるは上野到着後、尾久客車区に収容されずに東大宮操車場まで改装されていました。たまたま牽引機がEF81 95でしたが、後に塗色変更されるのは有名な話です。

寝台特急あけぼの

上野〜青森(奥羽本線経由)。2往復(24系24型12両編成)
青森発着1往復、秋田発着1往復

1982年11月改正時:青森発着1往復(24系25型12両編成)増便し3往復に(24系24型のA寝台は1両に減車)

あけぼの2号(1982年10月上野駅にて)

あけぼの3号(1981年11月上野駅にて)

●あけぼの号は上野と青森・秋田を奥羽本線経由で結ぶ寝台特急列車です。A寝台を2両連結していました。
●左上のEF65 1008には何故か「はくつる」のマークが付けられていました。経緯は不明です。
あけぼの51号(1981年08月上野駅にて)
●多客臨として14系座席車による51・52号もありました。

寝台特急北陸

上野〜金沢(上越線経由)。1往復(14系12両編成)

1982年11月改正時:本数増減なし

●東北・上越新幹線開業の影響を全く受けないためか、記録が全く残っていませんでした。

寝台急行新星

上野〜仙台(東北本線経由)。1往復(20系9両編成)

1982年11月改正時:廃止

能登号(1982年07月上野駅にて)
●東北新幹線がある現代では信じられないかと思いますが、当時上野〜仙台間で寝台列車が存在していました。
●所要6時間程でしたが、需要はあったかと思われます。上り列車では発車2時間前から入線して睡眠時間を伸ばす措置が取られていました。
●上の写真は急行能登号のものですが、左のEF58+20系が急行新星です。撮影した日は上野口のダイヤ乱れが生じていました。

寝台急行天の川

上野〜秋田(羽越本線経由)。1往復(20系11両編成+郵便車1両)

1982年11月改正時:本数増減なし(A寝台2両連結はそのまま)

天の川号
天の川号(1982年01月秋田駅にて)
●天の川号は上野から秋田を羽越本線経由で結ぶ寝台急行です。
天の川号(1982年11月上野駅にて)
●天の川号は上野〜新潟間で郵便車を連結していました。

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