都心に出入りしていた旧客鈍行
1982年11月の上越新幹線開業のダイヤ改正まで高崎線に1往復、常磐線に3往復の旧型客車による普通列車が残されていました。
電車主流の時代に奇跡的に足の遅い客車列車が残されていたのは郵便・荷物輸送があったからだと思われます。
2321列車
上野6時14分→高崎8時53分(1980.10改正)。
高崎線に唯一残されていた下りの客車列車です。尾久の5両と高崎の6両に郵便車と荷物車1両ずつの13両編成でした。
尾久の5両は高崎到着後信越本線の321列車と長野行となり、長野から323列車→直江津から1323列車と段落としで新潟へ行く運用となっていました。
2321列車 オハ472273(1981年01月高崎駅にて) | 2321列車 オハフ332246(1982年01月上野駅にて) |
2321列車 オハ352557(1982年01月上野駅にて) | 2321列車 オハ352560(1982年01月上野駅にて) |
2321列車 EF62 15 (1982年09月熊谷駅にて) |
2321列車 12系サボ (1982年09月熊谷駅にて) |
2321列車 マニ37(1982年09月熊谷駅にて) |
2326列車
高崎19時16分→上野21時55分(1980.10改正)。
新潟を5時55分に発った1322列車は直江津で322列車、長野で326列車と姿を変えて高崎に18時30分に到着します。
ここで荷物車と郵便車が切り離され中間に高崎の6両を挟み込みます。
2326列車 オハフ33 2246車内(1982年08月高崎駅にて) |
上野5時55分→仙台14時02分(1980.10改正)。
この列車は上野駅を出発するのが早すぎて記録に残していません。
223列車
上野12時36分→仙台21時32分(1980.10改正)。
昼過ぎに上野を出る仙台行の鈍行列車です。終点の仙台までは乗ったことがありませんが、途中までなら何度か乗ったことある列車です。
EF80 4(1981年07月上野駅にて) | EF80 4(1981年07月藤代駅にて) |
223列車 EF80 27(1982年06月上野駅にて) |
223列車 オハ46 2622(1982年06月上野駅にて) | 223列車 スハフ42 2070(1982年06月上野駅にて) |
223列車 オユ10 2019(1982年05月上野駅にて) | 223列車 オユ10 2020(1982年10月上野駅にて) |
223列車 オハフ33 2246(1982年10月上野駅にて) | 223列車 オハフ33 2246(1982年11月上野駅にて) |
オハ46 2678(1982年11月上野駅にて) | 223列車最終日(1982年11月14日上野駅にて) | 上野駅発車表示(1982年11月14日上野駅にて) |
425列車
上野15時13分→平(現いわき)19時52分(1980.10改正)。
夕方に上野を出る列車です。当日中には仙台に着けず、途中の平止まりになっています。この列車は郵便車は連結されていません。
425列車と特急はつかり11号(1982年03月上野駅にて) | 425列車発車(1982年03月上野駅にて) |
425列車推進入線(1982年06月上野駅にて) | 425列車 スハフ42 2074(1982年06月上野駅にて) |
425列車 スハフ42 2262(1982年11月上野駅にて) | 425列車 スハフ42 2159(1982年11月上野駅にて) |
425列車 荒川放水路橋梁(1982年10月) | 425列車 松戸駅(1981年04月) |
422列車
浪江6時00分→上野11時36分(1980.10改正)。
昼前に上野駅に到着する列車です。郵便車は連結されていません。
422列車 EF80 61(1982年07月上野駅にて) | 422列車 EF80 62(1982年11月上野駅にて) |
422列車 我孫子駅(1981年07月) | 422列車 松戸駅(1982年07月) |
422列車 スハフ42 2201(1981年07月) | 422列車 スハフ42 2173(1982年05月) |
422列車 スハフ42 番号不詳(1982年06月) | 422列車 スハフ42 2089(1981年07月) |
422列車 スハフ42 2201(1981年07月) | 422列車 日暮里発車(1982年11月) |
424列車
平11時10分→上野16時00分(1980.10改正)。
常磐線の上り客車列車は仙台からの直通は1本もなく、平で分割されていました。
424列車は郵便車に加えてマニ37を連結されていました。これは下り十和田5号に連結される新聞輸送用の回送です
。
424列車 日暮里駅(1982年07月) | 424列車 松戸駅(1981年04月) |
424列車 荒川放水路橋梁(1982年10月) |
424列車 オハフ45(1982年05月上野駅にて) | 424列車 スハフ42(1982年11月上野駅にて) |
最終日の424列車 | 普通種別板 |
426列車
平16時55分→上野21時45分(1980.10改正)。
夕方に平を発ち夜に上野に着く列車です。郵便車が連結されていました。
426列車 オハフ45 2205(1982年11月上野駅にて) |
尾久にいた内装ニス塗りの車輛たち
尾久の客車は先述の通り43系に統一されていましたが、全てが青塗りのため内装も近代化改装されていると思いきや、ニス塗りのままの客車も数両存在してました。
本来なら茶色でもいいのですが、都会部とあって青のほうが古い印象を与えないのか大宮工場担当の関東一円の旅客用客車も内装ニス塗りでも青色のものが多数ありました。
この他にも大阪付近の高砂工場(和田岬線用のオハ64、オハフ64除く)、名古屋付近の名古屋工場担当の旅客用客車も青塗りでした。
オハ46 2543車内(1982年11月上野駅にて) | オハ46 2543ボックス(1982年11月上野駅にて) |
オハ46 2543(1982年06月上野駅にて) |
オハ47 2241(1982年06月上野駅にて) | オハ47 2321(1982年07月上野駅にて) |
オハ47 2241(1983年01月仙台駅にて) | オハ47 2241(1984年03月平駅にて) |
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