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1983年04月 鈍行列車の旅〜福島行

先の飯田線と紀伊半島行で、青春18のびのび切符が余りましたので、友人と一緒に福島まで行きました。

荷物36列車 荷物1031列車
荷物36列車 荷物1031列車 EF58 114
●東武線から栗橋駅乗り換えで東北本線に乗ります。東武日光線初電準急東武日光行と東北本線初電日光行との接続は1分しかなくて到底乗り継げません。
●次の黒磯行まで30分程度空いてしまいました。この間に上下の荷物列車が通過していきました。
黒磯125レED75 1011 126列車と離合
黒磯駅125列車 ED75 1011 126列車と離合
●栗橋から黒磯まで2時間弱。115系での旅は「苦痛」という感じでした。(今となっては贅沢)
●黒磯での接続はわずか5分で、急いで先頭まで行き機関車を撮影です。
●鏡石〜須賀川で上り126列車と離合。最後尾は妻面に縦の雨樋が無いオハフ33 2434です。
オハフ33 2068 スハ42 2120
オハフ33 2068 スハ42 2120
●須賀川駅にて待避のため10分程度停車します。125列車の客車は仙台運転所の所属。この日は茶色い客車が多かったです。
●オハフ33 2068は戦前型の標準的な姿、スハ42 2120は簡易的な雨樋をデッキ上のみに取り付けた簡易設計です。
貨物1151列車 磐越西線1229列車ED77 5
貨物1151列車 磐越西線1229列車ED77 5
●須賀川では急行まつしま1号・ばんだい3号を先に譲り、さらに貨物1151列車にも抜かれます。
●この1151列車は黒磯〜白河でED75三重連牽引で有名な列車、後にレイルマガジンの創刊号で特集されました。
オハ50 2326 オハフ50 2485
オハ50 2326 オハフ50 2485
●郡山駅では磐越西線の新潟行1229列車が接続します。先の改正で50系になりました。
●郡山に配属された50系客車は最終グループで、全国の50系客車が完備されたことになります。
●この頃は、まだ珍しい存在。後に旧型客車を潰していくので「毒苺」なんて言っていたのも懐かしいです。
オハ35 2357 磐越東線790列車
オハ35 2357 磐越東線790列車
●125列車は郡山駅で17分停車しますので列車を降りて色々な車輛をカメラに収めることが出来ました。
●オハ35 2357はドアがHゴム支持で、KATOのブルーのオハ35を茶色に塗れば再現できます。
●磐越東線790列車は通常重連ですが、日によっては三重連になり、この日はラッキーでした。この列車も後にレールマガジン創刊号で紹介されました。
ED75 1011 松川駅にいたオヤ33
ED75 1011 松川駅にいたオヤ33
●125列車の牽引機はED75 1011で長町機関区の所属です。
●松川駅にはスハニ37改造のオヤ33が2両疎開していました。多分仙台所属の55・56かと思います。
オハフ33 2251 ED71 52
オハフ33 2251 ED71 52
●福島駅に到着。上り130列車の最後尾はオハフ33戦前型。駅西側の側線には休車となっているED71がいました。
オハフ33 2255 オハ35 2835
オハフ33 2255 オハ35 2835
●乗ってきた125列車は福島到着後、そのまま1125列車として仙台を目指します。
●オハ35 2835は上のスハ42 2120と同じく雨樋を簡略化したタイプです。
オハフ33 2585 EF71 1
オハフ33 2585 EF71 1
●福島13:08発の上り132列車の最後尾は戦後型のオハフ33でした。
●この132列車は堂々たる12両編成でしたが、乗れるのは前6両で、後ろ6両は白河切り落とし1536列車という運用でした。
●EF71は院内発の426列車で、この当時板谷峠を越える普通列車(全て客車)のうち50系使用はわずか1往復だけでした。
ED75 98 スハ40 2119
ED75 98 スハ40 2119
●132列車の牽引はED75 98でした。
●福島13:24発の下り531列車に東北で1両しかないスハ40が入っていました。スハ42を徹底的に軽量化したオハ36に電気暖房を搭載した形式です。
オヤ31 13 スハフ32 2357
オヤ31 13 スハフ32 2357
●132列車に乗って福島を発車、郡山を目指します。陸橋の下には建築限界測定車のオヤ31 13がいました。
●郡山に着くと夕方ラッシュ時に使われる客車が動き出していました。
●スハフ32 2357は国鉄末期に廃車寸前で車籍を復活して、現在でも現役なのは驚異に値します。
スハフ32 2131 スユニ50 2036
スハフ32 2131 スユニ50 2036
●入換客車がバックして出てきて、もう1台スハフ32が現れました。
●奥にはスハ43の台車を利用したスユニ50がいました。
スハフ32 2131 ED75 61
スハフ32 2131 ED75 61
●当時郡山には4両のスハフ32(2131・2219・2357・2366)がいました。
●コンテナ列車の先頭はED75の重連。民営化後のEH500につながるスタイルです。
オハフ61 2715 会津若松行2243列車
オハフ61 2715 会津若松行2243列車
●オハフ61は東北本線下り一ノ関行の131列車のもの。2番線には会津若松行の2243列車が停車していました。
スハフ32 2219 スハフ32 2219車内
スハフ32 2219 スハフ32 2219車内
●2243列車の最後尾はスハフ32、発車まで時間があるので車内はガラガラでした。
スハ42 2038 スハ42 2038車内
スハ42 2038 スハ42 2038車内
●前から2両目に白熱灯のスハ42 2038が入っていました。車内はオハ35と同一です。
ED77 14 2243列車発車
ED77 14 2243列車発車
●ED77 14が先頭に連結され、16時25分に出発しました。
マニ36 2035 荷物33列車ED75 1024
マニ36 2035 荷物33列車ED75 1024
●2243列車が発車してすぐ、荷物33列車が入線しました。この列車は次の福島駅にて10時間停車して青森を目指す列車です。
131列車郡山発車
131列車郡山発車
●郡山16時44分発の134列車で郡山を離れ帰途につきます。134列車発車前に131列車が発車していきました。

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